愛と感謝とプラーナ
- 2021年12月20日
- ブログ
「愛と感謝」
とっても素敵な言葉ですね。
長生医学療法では
脊椎矯正、精神療法、プラーナ療法の三位一体療法を大切に施術に当たっています。
そのうちの一つプラーナについて少しお話します。
プラーナとは簡単に言うと人間誰でも持っている、
または生物のすべてが持っている
「生命エネルギー」のことです。
やはり病気の人は
この生命エネルギーが少なくなっています。
「愛と感謝」
この気持ちがプラーナの力を最大限にしてくれると
長生医学では代々教えられてきました。
この「愛と感謝」、簡単に言葉では言えますが、
果たして私は本当に心からそう感じたことはあるのだろうか?
恥ずかしいことですが最近そのに思うようになりました。
実は先日12月13日、私の父が永眠しました。
昭和9年2月生まれです。
横浜で生まれ育ったので少年期は戦中戦後の激動の時代を過ごしてきたそうです。
成年時代はフォークダンスや歌、演劇鑑賞、詩吟、マラソン、スポーツ観戦など多趣味で、
誰に対しても優しく対等に接し、仲間も多かったそうです。
そんな中、母と出会い結婚しました。
そして私、弟、妹が生まれ、優しく大きな心で家族を守ってきました。
岡部町(現深谷市)へ移り住んでからは
父と母夫婦で毎朝マラソンをするなど、
地元でも有名な夫婦になり、
新聞にも記事が載るほどでした。
父は60代後半まで
フルマラソンに出場するなど、
大きな病気もせず、
健康に関しては自信がありました。
100歳になっても
ピンピンしているだろう
なんて当時は思っていました。
しかし
少しずつ歩行が困難になって2008年、
難病である慢性炎症性脱髄性多発神経炎と診断されました。
まさか健康自慢の父が!信じられませんでした。
年々さらに歩行も困難になり入退院を繰り返すうちに、運動機能が失われてきました。
最後の3年間は寝たきりの状態になり、
身動き一つ出来ないほどになってしまいました。
そんな中、母は父と一緒に過ごせること、
今までの恩返しが出来ることを最高の喜びと感じ、
介護に対する負担を少しも感じずに、
父を最後まで看てきました。
父も一番心が安らげる場所である自宅で
最愛の母と過ごせたことが最高の幸せだったでしょう。
母を心配して施設に預けることをすすめてくれる方々もいましたが、
父の思いを尊重し自宅にて介護することにしました。
現在は一緒に住んでいませんが、弟や妹もそれに賛成し、
何度も自宅に足を運んでくれて協力してくれました。
体が動かせなくなってからは、
食事をするのにも2時間以上、朝昼晩3食。下の世話も・・・。
しかし母は最後に夫婦の絆が深まったと負担を感じるどころか
幸せを感じながら介護をしていました。
私も少なからず介護の手伝いはしましたが、
仕事等もあり(言い訳ですが)恥ずかしながら負担を感じて、
身も心も疲れてしまったことがあります。
長い闘病生活で一番辛いはずの父でしたが、「生きているだけで幸せ」
不平不満を一言も言わず、
母や私たち家族、医療関係者、介護職の方々に対していつも優しい笑顔で接し、
「ありがとうございます」と、感謝の気持ちを常に忘れずに、周囲に元気を与えてくれる存在でした。
おかげさまで数えで88歳、米寿を迎えることが出来ました。
本当に優しく強く自慢の父でした。
父は12月13日午前11時、自宅にて、
母、私、弟、妹と
家族全員に見守られる中、
満たされた顔で
旅立って行くことが出来ました。
旅立ちの瞬間に家族5人がそろいました。
父は幸せな人生でした。
コロナ禍のこのご時世ですから
病院や施設にいたらこのようなことは実現できませんでした。
父の旅立ちを見送ることが出来た私たち家族も最高に幸せです。
長生医学とは全く関係のない父と母ですが、
まさに「愛と感謝とプラーナ」を目の前で実践してくれました。
長年難病と闘いながらも米寿まで人生を全うできたことは
「愛と感謝」まさにプラーナの力が最大限に働いたのでしょう。
父と母の血を継ぐ私ですから、
この素晴らしいパワーを本当に実感出来ないはずありません。
「愛と感謝」を心の底から感じ取ることが出来るようになることが、
私のこれからの課題であり、親孝行です。
多くの患者さんのためにしっかり前を向いて精進して参ります。
また父の葬儀の際はの多くの方々にご参列いただいたり、ご配慮を賜りまして、
この場を借りて御礼申し上げます。
今後ともみなさまの健康のお役に立てますよう、
精進して参ります。
宜しくお願いいたします。
ひしやま長生療院
菱山博亮